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    <title>ドーパミン on 飛脚 / HIKYAKU</title>
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    <description>Recent content in ドーパミン on 飛脚 / HIKYAKU</description>
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      <title>届く人に、届ける——このブログをはじめるにあたって</title>
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      <pubDate>Wed, 15 Apr 2026 00:00:00 +0000</pubDate>
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      <description>&lt;p&gt;今更、ブログをはじめる。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;時代と逆行しているのかもしれない。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;h2 id=&#34;snsに感じる奇妙な窮屈さ&#34;&gt;SNSに感じる、奇妙な窮屈さ&lt;/h2&gt;&#xA;&lt;p&gt;SNSでの発信に、どこか違和感があった。アルゴリズムを読み解いて、エンゲージメントを最大化する投稿——それは自分にはできなかった。言い訳かもしれない。でも、正確に言えば、&lt;strong&gt;やりたくなかった&lt;/strong&gt;のだと思う。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;あらゆる発信手段が民主化され、誰もが自由に発信できるようになったはずのこの時代に、SNSという箱の中で繰り広げられる投稿には、奇妙な窮屈さがある。「バズ」を意識して設計されたリコメンドアルゴリズム、それに沿って設計される投稿の数々。結果として、&lt;strong&gt;何が本当に価値のあるものかよりも、何が拡散されるか&lt;/strong&gt;が優先される構造が出来上がっている。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;90年代から2000年代の初頭、インターネットにはもっと別の空気があった気がする。個人サイト、ブログ、掲示板、さまざまな形で、それぞれのペースで発信が行われていた。箱はなかった。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;h2 id=&#34;タイムラインとドーパミン&#34;&gt;タイムラインとドーパミン&lt;/h2&gt;&#xA;&lt;p&gt;テック企業、特にカリフォルニアに本拠地を置くその多くは、「自由」や「オープン」を掲げて生まれたはずだった。しかし皮肉にも、結果として彼らが提供しているのは、&lt;strong&gt;タイムラインに四六時中流れ込んでくる不確定な刺激&lt;/strong&gt;だ。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;ドーパミンは「報酬の予測誤差」で放出される神経伝達物質だ。次に何が来るかわからない時、脳はそれを楽しみ、探し続ける。スロットマシンが人を中毒させる仕組みと、本質的には同じだ。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;SNSのタイムラインは、この性質を極めて正確に利用している。自分から能動的に何かを探しに行くのではなく、向こうから流れてくるものを受動的に消費する。下にスワイプするたびに、ドーパミンが小さく放出される。目新しさに、体が反応する。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;全てを批判するつもりはない。SNSには確かに良い面もある。ただ、直感的に、自分はそこで主戦場を張ろうとは思えなかった、というだけの話だ。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;h2 id=&#34;長文を書くときに体の中で起きていること&#34;&gt;長文を書くときに体の中で起きていること&lt;/h2&gt;&#xA;&lt;p&gt;久しぶりにこうして長文を書いてみると、体の中で別の感覚が起きているのに気づく。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;ドーパミンのような、何かを求めて加速する感覚ではない。じわっと内側から湧いてくる、静かな充足感。これはおそらく、&lt;strong&gt;セロトニン&lt;/strong&gt;に近い状態だ。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;セロトニンは、持続的な安定感や内的な充足に関わる神経伝達物質だ。ドーパミンが「&lt;strong&gt;もっと、もっと&lt;/strong&gt;」を駆動するなら、セロトニンは「&lt;strong&gt;今、ここで十分&lt;/strong&gt;」を感じさせる。長文を書く、本を読む、手を動かして何かを作る、静かな時間を過ごす——これらはすべて、ドーパミンではなくセロトニンの時間だ。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;セロトニンはドーパミンと比べて即効性がなく、派手さもない。だから現代のテクノロジーは基本的にセロトニンを最適化しない。スクロールで生まれるのはドーパミンだ。友人との深い会話や、一冊の本を読み切る体験で生まれるのはセロトニンだ。どちらも大事な神経伝達物質だが、&lt;strong&gt;どちらに偏った生活を送っているかで、人生の質感は大きく変わる&lt;/strong&gt;。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;h2 id=&#34;このブログが時代に逆行する形&#34;&gt;このブログが、時代に逆行する形&lt;/h2&gt;&#xA;&lt;p&gt;だから、このブログは時代に逆らう形を取る。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;バズを目指さない。エンゲージメント最適化もしない。書きたいことを、書きたいペースで、書く。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;主には&lt;strong&gt;精密栄養学と健康&lt;/strong&gt;について書く。それがHIKYAKUというアプリを作った背景でもあるから。でも時々は、&lt;strong&gt;音楽や、カメラや、旅&lt;/strong&gt;の話も書きたい。ガジェットの比較レビューではなく、良いスピーカーの音が迷走神経に与える影響のような、&lt;strong&gt;深い視点から日常を見直す書き方&lt;/strong&gt;で。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;書くのは、自分が深く心を動かされたもの。それだけが決めてあることだ。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;h2 id=&#34;届く人に届けばそれで&#34;&gt;届く人に届けば、それで&lt;/h2&gt;&#xA;&lt;p&gt;誰が読んでくれるかわからない。それでも書く。&#xA;万人に届かなくていい。届く人にだけ届けばいい。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;そう思える時代の中で、静かに書き続けようと思う。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;hr&gt;&#xA;&lt;p&gt;&lt;em&gt;※ 本記事は情報提供と個人の考察であり、医学的助言ではありません。&lt;/em&gt;&lt;/p&gt;</description>
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