祖母は大腸がんで亡くなった。
80歳を超えても、見た目には元気そうだった。書道や編み物を楽しみ、日々を充実させていたように見えた。ただ、ある時から「食欲がない」「料理を美味しく感じない」と口にするようになった。
定期的に地元のクリニックには通っていた。しかしそれは、学校や仕事に通うのと同じように、ただの日常になっていたように見える。先生もそれをただ処理していただけのようだった——もっとも、祖母自身が「風邪をひいた」「年のせいで疲れる」と話していたようで、先生に非があるわけではないと思う。
母に促されて精密検査を受けると、すぐに大学病院への紹介を受け、即入院となった。
ステージ4の大腸がん。
診断から5年以上は生きたと思う。けれど、あの時のことを今でも考える。
病気は、診断された日に始まるのか
がんと診断されたとき——それが「病気の始まり」なのだろうか。
そんなことはないだろう。
診断は結果だ。病巣は、日々の生活の中で少しずつ育まれ、やがて表面化したにすぎない。細胞の異常な増殖は、昨日今日で起きるものではない。数年、あるいは十数年にわたる慢性的な炎症、腸内環境の変化、免疫監視の低下——そうした静かな蓄積の末に、検査で「見える」ようになる。
しかし現代の医療では、多くの場合、診断されてから治療が始まる。ステージ4と告げられてから、ようやくスタートラインに立つ。誰にでもわかるように、それは遅すぎる。
未病——不調——病気
東洋医学には**「未病」**という概念がある。まだ病気ではないが、健康でもない状態。自覚症状が薄い段階で、体の中では何かが少しずつ傾き始めている。
この連続体を整理するとこうなる:
未病 → 不調 → 病気
多くの人が行動を起こすのは「病気」の段階だ。しかし、日々の生活で最大限にできることは、この進行を未病の段階で食い止めること——つまり、予防だ。
予防とは何か特別なことではない。毎日の食事、睡眠、運動、ストレス管理——一つ一つの選択の積み重ねだ。
保険と、準備の違い
多くの人は「何かあった時のため」に保険に入る。それはもちろん大事なことだ。
けれど、何かある前に準備をすることが、人生をより良く生きるということではないだろうか。
当たり前のことだが、健康もビジネスも自身の成長も、一つ一つの選択と行動の結果で未来が創られる。保険は結果への備えだが、準備は原因への介入だ。
祖母のカップラーメン
祖母は退職後も活動的だった。書道、編み物、近所付き合い。生活の中に充実があった——食事を除いて。
限られた年金の中で、楽に安く生活をするために、カップラーメンや惣菜パン、加工食品が日常になっていた。幼少期からアレルギー体質で食事には気をつけていた自分には、それが気にはなっていた。
けれど、当時の自分には祖母を養う余裕はなかった。そしてその選択を責めることもできない。
ただ、病巣はそうした日々の一つ一つによって、静かに育まれていく。超加工食品による慢性炎症、食物繊維の欠乏による腸内環境の悪化、高血糖の反復によるインスリン抵抗性の進行——精密栄養学が明らかにしているこれらの経路は、祖母の食卓にそのまま当てはまる。
もちろん、食事だけがすべてではない。遺伝、環境、ストレス、運動——がんの原因は多因子的だ。けれど、日々の食事は、私たちが最も直接的にコントロールできる変数であることは間違いない。
このアプリを作った理由
そんな思いから、このアプリを作った。
自分にとって最も大事だと考えるのは、日々の食事だ。忙しい現代人にとって、食事への意識は「取り組みやすいのに、取り組むのが煩雑」という矛盾を抱えている。
このアプリでは、メインの食事と補食のログをつけるように設計されている。
補食——聞き慣れない言葉かもしれない。これはメインの食事の間に摂る、少量の低糖質食品だ。目的は二つある:
- メインの食事の糖質を限りなく減らすことのサポート
- 食間が空きすぎることで発生する血糖値スパイクの防止
やることはシンプルだ。まずは1日3食のプロトコルから。朝食のパンをやめる。ランチの白米やパスタを減らす。一つ一つの引き算。そして、それを無理なく継続するために、定期的なナッツやMCTオイルなどで脂質を補い、血糖値をコントロールする足し算。
引き算と足し算の合わせ技で、体は少しずつ変わっていく。
まずは一週間でも試してみてほしい。自分の現状を知ることが、何よりも大事だと思う。
太陽が沈んだら
アプリのメイン画面には、江戸時代の不定時法の時計を設置している。
これは機能としての時計というよりも、願いに近い。人間は本来、自然と密接に関連して生きてきた。季節で変化する日照時間、太陽の軌跡——それを感じ、それを軸に生活を設計してほしいという思いだ。
太陽が沈んだら、ゆっくり時を過ごし、就寝への準備を進める。当たり前のことだが、その「当たり前」を思い出すことが、現代ではとても難しくなっている。
短い人生を、より良く
祖母がいなくなった今でも、あの食卓のことを時々思い出す。
もし当時の自分に今の知識があったら。もし精密な血液検査を早い段階で受けていたら。もし日々の食事を少しだけ変えていたら。
「たられば」に意味はない。けれど、これからには意味がある。
このツールが、誰かの「これから」の役に立てば——それだけで、作った意味がある。
※ 本記事は個人の経験と考察であり、医学的助言ではありません。がんの予防・治療については医師にご相談ください。